【学生向け】勉強をする意味について

【学生向け】勉強をする意味について

今回は、多くの人が疑問に思ったことのある、学校の勉強って結局のところやる意味ある?になはもっとなりの返答を用意したんよ。

今回は君がしゃべり始めるんだ。

ん。勉強にマイナスイメージを持っている人たちに何かを伝えられたらと思った次第よ。あとは頼むんよ。

結局自分が話すんかーい。

気を取り直して、今回は自分なりの学校の勉強の意味、という哲学的な問題に明確な回答を出そうと思います。勉強なんか意味ねぇ、したくねぇと思っている人にこそ読んでほしい記事です。

「勉強したくないなぁ」

1.勉強に意味はある?ない?

いきなり本題です。勉強の意味はあるの?ないの?

 

 

自分は、あると考えています。ただし、勉強で身に付いた知識に意味があるというわけではありません。

ならば、何に意味があるのか?

目的を達成するまでの道筋を自分で実行し、試行錯誤する経験に意味があると、自分は考えています。

 

 

テストでも受験でもいい。学生は、赤点を防ぐにしろ、高得点を取るにしろ、まず目標を立てます。80点を取ろうと思えば、その点を取るには何をしたら良いのかを考え始めます。

 

 

塾に行くのも一つの手段ですし、自分の学力や目標に合った参考書がどれか考えて買うこともまたその手段です。そういった手段を取捨選択し一つの結果(テストなら点数)が出ます。、あまり結果が良くなかったら、どこを修正したらよいのかを考え、再び実行していきます。

 

 

その試行錯誤の経験こそが何よりも得難い「勉強する意味」だと自分は考えています。

 

 

知識に関しては、別に日常生活で使わないものも中にはあります。しかし、それも勉強することで、「目標を達成するための試行錯誤の経験」に変えることが出来るのです。

※日常生活で使われていない知識も実は日常生活に活かされていることは多いので、まったく意味がないわけではないです。

 

 

知識は検索すればすぐ知ることが出来る世の中です。しかし、同時に情報に溢れた世の中でもあります。ある情報を探すための検索ワードが何かを知ることが出来なければ、目的の知識を手に入れることはできません。

 

 

ググれば済む世界、というのは、同時にググらなければ誰も教えてくれない世界、でもあるのです。体系的に物事を学ぶ機会は、学生の時期を覗いてあまり多くはありません。一つ一つをググって検索すればいいという考え方は、情報の膨大な量を理解していない非常に恐ろしい考え方だということを理解しなければなりません。

 

 

ということで、知識の面でも無駄ということはないと思うのですが、そっちは今回の主張とは外れるので置いておきます。

あくまで、 目的を達成するまでの道筋を自分で実行し、試行錯誤する経験に意味がある。だから勉強に意味があるということを今回の記事では主張しています。

 

 

2.じゃあ先生の言う通りやれってこと?

じゃあ、先生の言う通り勉強すればいいのか、というと全然違います。

学校の教師なんて、手段、つまりは道具の一つです。

先生の言うことをむやみに信じる学生は、大した人間にはなりません。ただし、その先生が有能だ、言うことが信じられると自分で判断して信じるならば、話は別です。

 

 

先生が有能なら、その先生を道具の一つとして利用して自分の勉強の助けにすれば良いのです。ただ先生の言うことを妄信する学生は、社会に出たら無能な上司に当たっても言うことを信じて意味のない仕事をし続けることがあるかもしれません。

 

 

何にしても、自分の信じる道を行き、失敗したら修正していくことが重要なのです。別に失敗してもいいんです。失敗を活かせばいい。何もしなければその失敗の経験すら得ることが出来ません。

 

 

学生時の勉強というものは、本質的に、社会に出てする試行錯誤の予行演習のようなものなのです。勉強をしなくても、その試行錯誤を最初から社会ですればいいと考える人は、そのままそれを実行すれば良いと思います。ただ、それが出来るのは真の意味で若い時代から自分で考え実行、修正できる人間だけで社会的な印象も悪いので、苦労は多いと思います。

 

 

現在、マシにはなってきていますが、基本的に就職に関しては学歴社会であることが多い昨今です。それは自明なのだから、ある程度の大学に入れば苦労が少ないことは明らかです。

 

 

つまり、現状会社から見ると、学歴のない人間=学歴が必要だと分かっているのにそれを獲得できていない人間 と見えてしまうのです。

それはつまり目的を達成するための道筋を立てられない人間と同義語です。

社会に出てからの人生の方が長いのだから、その考え方が必ずしも正しくないのは明らかなのですが、現状そう受け取られることが多いのが現実です。

(単純に賢くないと見られている可能性もありますが)

 

普通の会社ならそうですが、その学歴に当たる部分は、プログラマーならこれまで作ったプログラム、カメラマンならこれまで取ってきた写真に置換されます。これまでの実績がものを言う業界なら、必要なのは実績で間違いありません。

 

 

画家になりたいから、絵に全振りをする。それはそれで良いと思います。絵に骨を埋める覚悟があるのなら、突き進めばいい。そこに試行錯誤はつきものですから、そこで磨き上げられるものがあるでしょう。

 

 

それでも結局一番大事なのは自分で考え(自分の意志で)行動していくことであり、与えられたものをただ享受するだけではだめでしょう。

 

 

3.学生時に教わる知識は本当に意味ないの?

意味ないわけないでしょ、と一蹴するのは簡単ですがそれでは論理的ではないですね。

  

 

教養、という言葉があります。

人は自分より知識の少ない人間と話す時、言葉を選んで話します。この人にも理解できるようにと気遣うのですが、それはつまり話される側からすると、会話の時点で手加減をされています。

 

 

こいつはバカだからこの話は理解できないだろうからしない方がいいな、と判断されれば、自分に入ってくる情報の質は落ちます。

 

 

極端ですが、「アメリカ」ってどこ?っていうレベルの人に、米中の関係の問題の話をする人はいませんよね。ああ、こいつにはわからないから言わなくていいやと思われてしまいます。

 

 

それってとっても損なことだと思います。今の例はただの海外の政治の話ですが、仕事において重要な話でも、こいつに話しても無駄だな、と思われたら、その情報は入ってきません。

 

 

学生時の勉強で教養の一部を築いていくことは、そういった意味で重要だと自分は思っています。もちろん、直接関係ある知識に関しては、普通に必要になりますがね。

 

 

4.勉強したくない学生たちへ。

意味があるのだから、勉強した方がいいなんて主張をされても、きっと勉強なんてしないと思います。

 

 

だから自分はこの言葉を送りたいと思います。

「楽しくする工夫を考えよう」

 

 

偉人の肖像画に落書きして笑って覚えるでもよし。くだらない語呂合わせで年表を覚えるでもよし。

 

 

楽しく勉強するためにはどうしたらいいんでしょうか、と先生に聞きにいくこともまた手段の一つかもしれません。正しい答えが返ってくることは少なそうですが。

 

 

楽しくするということは思ったより難しいものです。楽しいように工夫するというは子供の時代には勝手にやることなのですが、成長すると忘れてしまうものです。

 

 

より楽しむためにはどうしたらよいかを考えていったら、それもまた試行錯誤の経験へと変わっていきます。

 

 

「面白くない勉強」を「面白く」することが出来たら、なんだって出来る気がしませんか?

 

 

勉強が楽しくないんじゃなくて、楽しくできていないだけなんです。面白くないことを面白くする。それが出来る人って優秀な人なんじゃないかなと自分は思っています。

まとめ

  • 勉強して得た知識に意味があるというよりかは、「目標を達成するための試行錯誤の経験」 に意味がある。
  • 先生の言う通り勉強すればいい わけではなく、自分でそれが正しい手段かどうか判断することが重要。
  • 学生時の勉強で得た知識にも意味がないわけではなく、教養の一部となり他人から自分に情報が入ってくるようにする上で非常に重要。
  • 「楽しくする工夫を考えよう」 面白くないことを面白くするのもまた「試行錯誤の経験」